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kireidegozaru6

小説『はあとティー』 第1話

更新日:2023年9月29日





 そして、ミーティングの日がやって来た。まだ教室には誰もいないようだ。心は曇り、今にも雨が降り出しそうな空である。窓から見える空は青いのに。


 ガラガラ。入ってきたのは満哉〈みちや〉だった。


「……お疲れ様」

「お疲れ様です」

「………今日は早いね」

「………5限が休講になったんですよ。なのでいつもより早く来てみました」

「………なるほどね」


 よりによって満哉が最初に来てしまうとは。心の雲は黒みを増す。


 ── 信じたくないかもしれませんが、本物なんです。半年くらい前からずっと。殴る、蹴る、暴言、ゴミを見るかのような視線。他の人の前では、バレないように普通を装っていましたが。優衣奈<ゆいな>さんに気づかれないよう、なんとか頑張って撮りました。遥太<はるた>さん、助けてください

 ショッキングな動画がそのメッセージと共に送られてきたのは一昨日の夜のことであった。

 そこに映っていたのは、満哉を何度も思いっきり殴る優衣奈の姿であった。

 優衣奈は2年生、つまり私の1つ下の後輩であり、あの柔らかい雰囲気と話すときの笑顔が印象的な、いい子、のはずだ……はずだよな………?



 あれは新緑が眩しい頃……だから、2ヶ月ほど前の話になる。私はその日、うっかり財布を忘れてきてしまった。それに気づいたのは会計をする直前のこと。

 ── うわあ、どうしよう……。今目の前にいるのは、優衣奈ちゃんと映一<えいいち>君。どっちも後輩じゃねえか……。でも、仕方ないか…………。


「ごめん……実はさ、財布忘れてきちゃったみたいで……申し訳ないんだけど、貸し」

「え!なら私が出しますよ!」

「ありがとう、優衣奈ちゃん!絶対にすぐ返すからさ」

「いや、いいですよ!遥太さんにはいつもお世話になってますし、たまには私が出しますよ。ちょうどいい機会ですから」

「いやいや、そんな!それはさすがに悪いって」

「気にしないでください」

「………ごめんね、ありがとう」

「今日は楽しかったです!私がこうして楽しく活動できてるのも、代表である遥太さんのお陰ですから」

「そんなあ、照れるなあ……」

「ふふふ」



 それだけじゃない。去年の秋に私が代表に選ばれて、自分なんかに務まるのか……、と不安を感じていたときには、


「遥太さんなら周りから信頼されてますし、大丈夫ですよ!大変なときは、無力かもしれませんが私を頼ってくださいね」

と言葉をかけてくれた。

 ある日のミーティング終わりには、

「私、カフェが好きで『はあとティー』に入ったんですけど、みんなでカフェ巡るのめっちゃ楽しいし、カフェ紹介の冊子作るのも最初は不安だったけど今は楽しくできています。このサークルに入ってほんと良かったです。これからもよろしくお願いしますね!」


とまで言ってくれたのだ。


 だから、私にとって優衣奈はこのサークル、『はあとティー』にとって欠かせない存在だし、そんな彼女が人を殴るだなんて………。一体何が起こっているというのだ。ここが夢の中でないことは残念ながら明白である。


 ── 今まで気づかなくて、本当に申し訳なかった。


 混乱の中そう返信してから10分後。


 ── 明後日のミーティングには絶対に出席します。でないと、優衣奈さんから何されるか分からないので


 混乱と恐怖と申し訳なさと。心の空が青くないことだけは確かだった。



 明くる日。水曜日は全休にしているが、課題を進めるためにいつもは大学へ行っている。だが、今日は到底そのような気分にはなれなかった。

 私は一体どうすればいいのだろう。どうして気づくことができなかったのだろう。優衣奈はなぜあんなことを。いい子だったじゃないか。いい子じゃなかったのか。


 悶々としたまま携帯を開くと、メッセージが来ていた。満哉からである。


 ── 実は僕だけではありません。恵人<けいと>君も映一君も光喜<こうき>さんも。


 信じられない、信じたくない。私は何をやっていたんだ。ますます。

 そして気づく。『はあとティー』の男子全員が標的にされていたということに。私ただ一人を除いて。

 混乱と恐怖と申し訳なさがさらに。窓から見える空は青い。心の空は青い訳がなかった。雨と風と雷が激しく、外と対をなすかのように。 



 そして木曜日。ミーティングの日である。授業には出席したが、頭の中はもちろんあのことだけで。


 心の雲は黒みを増し、教室を少々の沈黙が包み込む。

「…………本当に申し訳なかった。気づかなくて……ごめんなさい………」

「遥太さんは悪くないです。謝らないでください……」

「いや、でも、私は代表で、何をやってるんだ、って………」


 ガラガラ。入ってきたのは………優衣奈だった。


「…………お疲れ様」

「お疲れ様です!」

 優衣奈が座ったのは満哉のすぐ斜め後ろだった。先週までなら何とも思わなかっただろう。だが、今となっては恐怖だ。恐怖でしかないのだ。


「満哉君、今日は早いんだね!」

「……うん、5限が休講になってさ……」

「そっかあ。いいなあ!」


 いつも通り、あまりにもいつも通りな優衣奈。それがかえって私を戦慄させる。


 ガラガラ。ガラガラ。ガラガラ。

 今日集まったのは6人。3年生が光喜と私。2年生が満哉と恵人、そして優衣奈。1年生が映一。よりにもよってその6人。ちょうどその6人だけなのだ。男子全員と女子は優衣奈だけ。

 ミーティングはいつも通りに進めた。あまりにもいつも通りだったと思う。私の心と、きっと満哉の心を除いては。



「優衣奈ちゃん」

「はい」

「今日、この後ちょっと残れる? お話したいことがあって」

「いいですよ!」

「じゃあ、申し訳ないけどよろしくね」

「全然大丈夫です! 今日は残ってやってく課題もないので!」

「そっか。なら良かった」



 やがて、教室の中は私と優衣奈だけになった。


 窓の向こうは青から橙へと変わった。橙を眺めながらレモンティーを飲む優衣奈の姿が目に入る。彼女が一番好きなのはオレンジティーだが、あまり売ってないのでレモンティーをよく飲んでいる。


「暑いですね」

「そうだね」

「そういえば、一昨日梅雨明けしたらしいですよ」

「そうなんだ。天気良いもんなあ」

 一昨日か。「あの日」だ。画面越しに優衣奈のショッキングな姿を見てしまった日。


「すみません!お話しなきゃでしたね」

「いいよいいよ」

 窓の近くの椅子に腰掛ける。優衣奈はその斜め向かいに座った。

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