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チヲヴァレ遊園地

『チヲヴァレ遊園地』



1975年(昭和50年)1月27日(月)に開園。


高さ210mの巨大観覧車、低速・中速・高速の3種類のジェットコースター、プレーンパスタを名物に掲げるレストラン等を兼ね備えた遊園地であった。


開園半年前からテレビ・新聞等で積極的に宣伝しており、開園直前の1月2日(木)19:00~21:00には宣伝特番まで放送された。



しかし、開園当初から客足はほぼ皆無に等しかった。


初日の1月27日(月)は4人、翌28日(火)は1人、開園後初の週末である2月1日(土)・2日(日)はそれぞれ7人・5人という記録的な少なさであり、2月4日(火)には遂に0人を記録してしまった。

その原因として、山奥の立地で行きづらい場所にあったこと、冬場は寒さが非常に厳しく(開園初日の最低気温は-33.1℃、最高気温は-12.5℃であった)屋外で遊ぶのに適さない環境であったこと、入園料が2万円と非常に高額であったこと、そして何よりも安全性を無視した建設を行い、その旨を事前に宣伝していたことが挙げられる。

開園直前に放送された宣伝特番では、「巨大観覧車では、乗車中にゴンドラごと落下する可能性があります。ジェットコースターは、低速でも決して安全という訳ではありません。プレーンパスタには、気分次第で塩100gを掛けることもあります。残すことは決して許されません。当園は極めて危険な遊園地なのです。」と述べていた。


実際、営業中には観覧車のゴンドラが計6台落下しており(いずれも車内や付近に人はいなかったため、けが人は無し)、閉園後も含めれば60台中44台が落下している。

また、園内の至るところに「!」マークの看板が配置されており、チヲヴァレ遊園地の危険性が強調されていた。



その結果、客足は全く伸びることなく、開園からわずか約2ヶ月後の1975年(昭和50年)3月31日(月)をもって閉園することとなった。


最後に来客があったのは3月2日(日)であり、2ヶ月間の営業での客数はのべ53人であった。


なお、極めて危険であったにも関わらず、客数が極端に少なかったこともあってか、けが人を出すような事故は一度も起こらなかった。



閉園後、チヲヴァレ遊園地の遊具・施設等は放置され廃墟と化した。


上記の通り立地が悪かったことと、営業当時からその危険性が強調されていたことによってか、不法侵入者はほとんどいなかったという。


また、付近の道路を偶然通りかかった者によると、観覧車のゴンドラが落下する場面を直接見たときは恐怖だったという。


そして、閉園から11年後の1986年(昭和61年)になって、チヲヴァレ遊園地はやっと解体された。



跡地には、遊園地と同じ経営者がスーパーマーケット『チヲヴァレスーパー』を1987年(昭和62年)5月13日(水)に開店させた。


しかし、付近に住民がいなかったことや遊園地時代の不信感等もあってか、売り上げは全く伸びず(0円の日も多くあったという)、同年7月6日(月)をもって閉店した。


建物はしばらく放置されたが、1993年(平成5年)に解体された。


チヲヴァレスーパーの跡地には、同じ経営者によって12階建て立体駐車場『チヲヴァレ・パーキング』が建設されたが、完成翌日の1994年(平成6年)4月21日(木)に突然崩壊した。

早朝であったため人的被害はなかったが、事故から約1ヶ月後の5月20日(金)に運営会社は倒産した。



チヲヴァレ・パーキングの跡地はすぐに整備され、1994年(平成6年)12月に市が高さ130mの避雷針を建設し、現在に至る。

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